1983年のある日、

 

エールフランスのパリ~ロンドン便の

 

機内で一つの巡り合いが生まれました

 

 

偶然に隣同士の席となったのは、

 

歌手・女優のジェーン・バーキン

 

エルメスのジャンでした。

 

 

バーキンは、

 

3人の娘の母でもあり、

 

映画作家としての一歩も踏み出した頃でした。

 

 

 

一方、ジャンはひいおじいさんが創業した

 

エルメスを引き継いで5年を経ていました。

 

 

 

短いフライトの中で、

 

二人は互いに共感し合い話が弾みました。

 

 

 

バーキンが手を滑らせて手帳を落とし、

 

手帳に挟み込まれていたたくさんの紙が

 

散らばったのをジャンが手を貸して

 

拾うのを手伝っていると、

 

 

どの手帳にもメモを挟むところがなくて

 

不便なの。どのバッグにもポケットが少ないし!」

 

と彼女はつい愚痴ってしまいました。

 

 

 

そこで彼は自分がエルメスの人間だと自己紹介し、

 

「手帳を変えることは大変だと感じられるけど、

 

 

その代わり、エルメスのアトリエであなたが

 

理想とするバッグを制作してみましょう!」

 

と提案したのです。

 

 

 

そしてバーキンが使い勝手が良いバッグに対する

 

要望を聞くと、

 

 

「大きなケリーバッグのようなのがあったらいい」

 

 

「黒い皮のがいい」

 

 

「口が大きく開いた方がいい」

 

 

それらのイメージを

 

ジャンはスケッチに書き上げ、

 

大切に持ち帰ったのです。

 

 

 

その後彼らはアトリエで再会、

 

バーキンの理想とするバッグのイメージを書いた

 

スケッチエルメスの職人の手によって

 

形となったのです。

 

 

 

大容量で、底を平らにすることで

 

安定感を生み出しなおかつ丈夫!

 

 

 

開いても閉じてもファッショナブルなバッグ

 

 

 

エルメスの最も象徴的な職人技のサドルステッチが、

 

洗練されたエッジを描き出しています。

 

 

 

そして、ジャンから

 

「カバン作りに関わった女の子たちも気に入って

 

いるから、是非君の名前を付けさせて!

 

と依頼がありバーキンは快諾しました。

 

 

 

バッグの名前の由来となった彼女は

 

ニューヨークでこう語りました。 

 

 

「《バーキン》はもう私以上に有名よ」。

 

 

 

 

多様な素材と多彩なカラー

 

そしてアトリエの有り余るくらいの想像力により

 

 

さまざまなバリエーションが生み出されて

 

きました。

 

 

 

こうして37年たった今日でも

 

この思いがけぬ出会いは語り継がれ

 

 

 

200万円を越える

 

価格にも関わらず

 

 

 

世界で最も入手困難なバッグ

 

と言われるほど

 

 

 

世界の女性に愛される

 

アイテムとなったのです。